母が逝った。96歳の生涯だった。
で、4月1日は母の葬儀でした。
その前
3/27 夜、郷里から母が倒れ救急車で搬送されたとの報あり
3/28 長男とともに出発、PM6時過ぎ「佐久医療センター」着、次男と待ち合わせ。
救急治療室に入ると、酸素マスクをつけた母が横たわっていました。
が、驚いたことに会話ができたんです。
母は耳が遠く、会話が難しかったはずでしたが、なぜかこの時は普通に会話ができたのですよ、実に不思議です。
僅か20分程度の面会時間でしたが、母は雄弁に立て続けに沢山話しました。
「○○世話になったなぁ、ありがとう…」
これがわたしと交わした母の最後の言葉になりました。
で、翌日の面会では母はモノが言えなくなっていました。
一旦わたしは家に戻り、一息ついていると
3/29PM10時ごろ母が亡くなったと兄から知らせが…
兄と葬儀の相談
兄は家族葬でやると言い、葬儀社との契約も済ませたと言う。
ただ、お寺さんに読経の旨をお願いしたが、住職の体調悪く断わられたと困っていたので
思わず
「それじゃ、わたしがやる」と云ってしまったのですよ。
言ってしまって「しまった…」とは思ったが、わたしがやることに決まった。
でも母は、霊友会の支部長などを長くやっていたひとだからきっと「ヤダ」と言うんだろな。
けど、そういうなら、今度母に会った時言ってやります。
「だったらなぜ死んだ?」とね。
さいわいわたしは、中途半端だがGLAの会員でもあるので
高橋佳子先生が著した「新・祈りのみち」を持っているし
その中から「葬儀に臨んでの祈り」と「供養の祈り」を
大いなる存在、神に捧げ、母の魂の見送りをしました。
終わりに、あらかじめ用意しておいた母への手紙を
次男に読んでもらったが、みんなひとしきり泣きました。
外はそぼ降る雨、ほんとうに涙雨でした。
葬儀が終わって帰る時、今を盛りに咲いている庭の紅梅を見たら
母が亡くなる前「梅が咲いたなあ」と嬉しそうに言ってた、との兄の言葉が蘇り
思わず涙がこぼれました。
母さん、長い間わたしたちを育み見守ってくれてありがとう。
ゆっくり休んでくださいね。
今日の句

紅梅の咲きて静かに母逝けり
母逝きて浅間黙すや春の雪