先日一カ月ぶりに仲間4人と会った。
近況を話しているときに、K君が「この頃眠れなくってねえ…」とこぼすものだから
みんな心配して概略を聞くと、なんでも一緒に暮らしていたお母さんを見送った後、相続でご長男さんと少々もめたらしい。
で、これから先、相続した家はどうするのか、もう売っちゃって賃貸がいいか?
お墓はどうするかとか、別に暮らしているご長男さんの事はどうするかとか、いろいろ不思議な理由を言う。
そうそう、K君はアラフィフの独り者です。まだまだ先は長いのです。
で、Yさんが「ポワロさんよう、こういう場合どうする?」とわたしに意見を求めたから
「はぁ~、なんで?な~んにも起きてないことを心配してるよね?そんなの独り相撲じゃないの?阿保らし…」と、にべもなく応えてしまったんよ。
その時は「K君はいったい何を心配して眠れないのか、のん?」まったく理解できなかったのね。
でうちに帰って、もう一度思い返してみたら、チョットまずかったなあ…と少々反省した。
すこしもK君の立場を「考えてない」ことに気付いた。もうすこし「受け止めてやればよかったな」と思った。
だってK君は、眠れないほど悩んでいたんだよ。
人はそれぞれ思念が違う、思念が違えば当然行為が違う、当たり前なことだ。K君は多分、人一倍心配性なのである。
それに引き換えわたしは楽天家だよ。世の中すべからず「なるようにしかならない」と何時だって思ってのほほんと暮らしてる。
ええ、この場合、どちらが良いとか悪いと言っているのではないのですよ。
その理由は、そのような思い癖はどちらも、誰もが持ってる煩悩(傾向)だから。
しかもそれは真我、つまり本当の自分を覆っている偽りの我だと思うから。
わたしたちが生まれてきた理由は、「煩悩を滅し、真我(本当の自分)に至る」ことが目的だから。
まあ、言葉にすれば実に簡単なフレーズだが、これが中々難しいのですよ。
だってほとんどの人は、それが確立しないうちにこの世を去るのだから。
ブッタは言われた。正しき心を作るために八正道を行ぜよと。
八正道は、仏教の基本的な教えで、苦しみから解放され悟り(涅槃)へ導く8つの正しい実践道だ。
ブッダが最初の説法で説いた四聖諦の「道諦」にあたり、中道の実践として知られている。
ええ、この間大敗した「中道改革連合」の中道とは質が大分違います。
八正道とは何か?以下に簡単に記す。
八正道は智慧・戒律・集中の三学に分類され、以下の8つからなる。
- 正見(しょうけん): 物事を正しく見極める。四聖諦などの真理を正しく理解すること。
- 正思惟(しょうしゆい): 正しい思考を持つ。欲望や怒りを離れ、慈悲に基づく考え方。
- 正語(しょうご): 正しい言葉遣い。嘘、悪口、離間、雑言を避ける。
- 正業(しょうごう): 正しい行い。殺生、盗み、不倫などの悪業を避ける。
- 正命(しょうみょう): 正しい生活。害を与えない職業を選び、正業で生計を立てる。
- 正精進(しょうしょうじん): 正しい努力。悪を断ち、善を修め、心を清らかに保つ努力。
- 正念(しょうねん): 正しい気づき。常に心を観察し、今この瞬間に集中する。
- 正定(しょうじょう): 正しい禅定。一心に集中し、心を安定させる瞑想法。
とある。
で、先日仲間4人と会った時、わたしは、K君の話を正しく訊くことができなかった。
K君の今の状況を正しく見ようとしなかった。
そしてY君の問いかけに、正しく語ることができなかった。だからK君の悩みを受け止めることができなかったし、まして寄り添うこともできなかった。と反省したのですよ。
このように、情けないことに、たった三つの正道さえ実践できなかったのですよ。
ここで重要なことは、人にはそれぞれ思い癖があるから、八正道の理解さえおぼつかないのが人生です。
なぜなら、何時の時も誰だって、自分は「正しい」と思って行動している事が多いのだから。
しかしです。その正しさはその人なりの正しさであって、絶対的な正しさではないのですよ。
悟りに到達するには、あらゆる煩悩を滅し、自らの思い癖を修正して行かなければならない。
つまり物事を判断するときは、善意なる第三者の立場に立て、と言うことです。
そうしなければ本当の正しさの基準には絶対に立てないと言うことになります。
人はすべての事象に対して「感じ」「受け止め」「考え」「行為」している。
そのサイクルが煩悩で回れば、K君の悩みなんかちっとも理解できませんよね。わたしは煩悩で受け止め煩悩で応えたことになる。
八正道とはたった八つの道であるが、これを実践するとなると限りなく遠い道行なのであります。
わたしは何時だって、煩悩と煩悩の間を行ったり来たりしているだけのような気がする。
今日の一句

尊きはブッタの教え寒桜