名張ぶどう酒事件事件の概要
名張毒ぶどう酒事件(なばりどくぶどうしゅじけん)とは、
1961年(昭和36年)3月28日の夜に三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で発生した大量殺人事件。
名張市の実質飛地と隣接する奈良県山辺郡山添村にまたがる集落の懇親会酒席で振る舞われたワイン(ぶどう酒)に毒物(農薬・ニッカリンT)が混入され、そのワインを飲んだ女性17人が中毒症状を起こして5人が死亡した。
「第二の帝銀事件」として世間から騒がれたこの事件で、逮捕・起訴された奥西勝(事件当時35歳)は、刑事裁判で死刑判決が確定したが、冤罪を訴えて生前9度にわたる再審請求を起こした。
そして、死刑確定から43年間にわたり死刑執行が見送られ続けた。
一方で、再審請求も認められることなく、八王子医療刑務所で死亡した(89歳没)。
なぜ死刑執行されなかったか?
それは代々の法務大臣の誰もが確信が持てなかったのではないか?
ゆえに「当事件は冤罪である」との見方もある。
名張ぶどう酒事件の奥西死刑囚の再審請求が何度もなされたがついに実現しなかった。
こんなに騒がれているのだから、ホントは再審をやればいいと思うのだが
世の中きれいごとではすまないようである。
もし冤罪だった場合、奥西の胸中はいかほどものであろう。
葛尾は、事件当時、人口100人程度の集落で、万が一奥西が無罪であった場合、
葛尾の中に真犯人がいる可能性が高い・・・
再審が進み新たな真実でも浮かび上がれば、村じゅうが疑心暗鬼、新たな波風が吹き荒れる。
再審を望まない地域の心情が裁判所にも及んでいるのだろうか?