日本統治時代の名残をとどめたまま、反日する韓国人
韓国人怒りの標的になった旧朝鮮総督府建物

旧朝鮮総督府建物 (1916年6月着工1926年10月に竣工)
この建物はソウル景福宮・光化門の真っ前にい立ちはだかっていた。
1994年に韓国を旅したことがある。
そのとき、韓国のおばさんガイドは、わたしたちを案内するたびに日本への恨み事を言った。
一番印象深く思ったのは、「国立中央博物館」に案内されたとき、この博物館は来年解体されることになってる。と自慢げに話したことだ。
この建物は、日本統治時代、日本政府によって建てられた。
建築美術としても非常に価値ある壮大な大理石でできているという。
おばさんガイド、壊すということを言った口で、二度と同じものは造れない、とも言った。
全く理解できません。かの国の人の腹の中は…
にも関わらず、このように価値ある建造物を壊す理由は、この建物が統治の象徴だけでなく、朝鮮王朝の光化門を前に建っているのが癪に障るらしい。
まあたしかに、日本がおなじ立場で、皇居の大手門を前に立ちはだかっていたならやっぱり許しがたいか?
とも思ったが、何とか移設してでも残せないかとも思った。それほど素人見でもたいそうな建造物だった。
が、彼女の言った通り、金泳三政権によって1995年8月15日、尖塔の切断式を行ない爆破解体された。
その残骸は、歴史教育の資料に活用するとして京畿道天安市の独立紀念館の敷地に展示されている。
「旧朝鮮総督府撤去部材展示公園」の日本語案内文には、「朝鮮総督府の残骸を粗末に扱う形で展示した。
展示公園を太陽が沈む独立紀念館の西側に配置することで、日本帝国主義の没落と植民残滓の清算を強調した」とある。
韓国人の日本への恨みが伝わってくる。恨み3000年の国と付き合うのはホントに疲れる。
解体に当たっては、当初から惜しむ声がかなりあり、いまでも当時を振り返り残念がる人々が韓国内にも多数おられる。
金泳三はおそらくは、日本統治時代の雪辱を晴らすのが目的だったろうが、果たして彼の心は晴れたのだろうか?
それにしても宮殿のまえに立ちはだかっているのが気に障ったなら、どこかへ移設できなかったか?
移設して最大活用しながら、その理由を碑文にしておけば永遠に語り継がれる。
当時を振り返り、日本人の幾人かで茶飲み話をしたが、彼らの技術では移設なんて大それた工事が出来なかったという人もいた。
が、日本が移設を請け負うとの話もあったとも聞く、が、今度はその費用がなかったと散々だった。
韓国は近くて遠い国である。
あの歴代チャイナが、けっして深入りせず、外に置いてきた理由が分かる。
深入りしたら二進も三進もいかなくなることを知っていたのだ。
大陸や半島文化は、どうやら、底なしで複雑だ。だから日本は「脱朝中論」が正解のようである。
現在も韓国にある日本統治時代の建造物
韓国銀行貨幣金融博物館(元朝鮮銀行本店)
東京駅や日本銀行本店の設計を手がけた建築家辰野金吾の設計で、日本統治時代の1912年に竣工した歴史的建造物。
1945年以降は韓国の中央銀行にあたる韓国銀行の本館として使用されてきた。
2001年、貨幣の博物館「韓国銀行貨幣金融博物館」として生まれ変わった。
西大門刑務所
1908年に朝鮮半島初の近代的監獄として日本政府によって建てられた刑務所。
1987年まで刑務所として使われ、現在は博物館として公開されている。
日本統治時代を物語る建築物としては、最も見応えがある歴史的背建物。
旧ソウル駅舎
東京帝国大学教授・塚本靖の設計で1925年9月に竣工し、2003年に旧駅舎南側に新駅舎が完成するまでソウル駅とし使われていた。
2009年4月からの大改修工事を経て、現在は「文化駅ソウル284」芸術文化交流施設となっている。
日本が憎いなら、このような建造物も、鉄道も、発電所も、道路も橋も学校も何もかも、すべて撤去して造り変えればよいのだが、情けないことに、すでに日韓請求権協定で解決している徴用工問題を蒸し返して、わずかな金をむしり取ろうとしている。
が、恨みからは何も生まれない、破壊があるだけだと思うのだが…
併合されたことがない日本人の私には一生理解できないだろう。




