啓蟄とは3月の初めころ冬こもりの虫が這い出ることであるが、
我が家の鈴虫は霧を吹いてやらんと卵は孵らない。
死がいや木片を静かに取り除き、霧を吹いてラップでふたをするところがみそである。
こうして直射日光を避け、部屋の一番温いところへ置けば、一月半ほどすると孵化するはずであるが
ワタシの鈴虫はすでに5年目になり、昨年はとっても孵化率が少なかったから、今年はうまく孵るか心配である。
経年飼育は孵化率が下がると聞いたことがある。
が、京都の妙徳山 華厳寺(別名鈴虫寺)では年中鈴虫が鳴いている。
ワタシは40年も前に訪ね、住職から飼育の苦労話を聞いたことがあるが、
もうご住職の代が変わっていると思うのでその辺はどうなってるん?
ともあれ私の鈴虫である。
もう一つの心配は、こたびの冬越しは自分の部屋に置いたから
「温度差が大きいところは、卵の保存にあまりうまくない」
と飼育マニアルにあることを今朝読み返して気づいた。
こういう大事なことを一つ二つ忘れてしまうのは、
経年による健忘症の現れで、やたら心配することではない。
人間は最後には死への恐怖さえも忘れて、誰もが自然とあの世へ旅立つ神の恩寵である。
ただ、そういうワタシに飼われていることが鈴虫の不幸だ。
と開き直るのは
きのう、東電の会長が「1~4号機廃炉」につづけて、事故に対する対応は「妥当」と反論したが
これこそが事故をもたらした狂気である。に似て
哀しいかな、ひとはだれもが開き直り自己保存に走る。
自己保存は神が与えた生存本能ゆえに始末が悪い。
狂気は狂気のままで、正気には死んでも治らないのでしょうか?
なぁ鈴虫よ・・・
