父という字はカタカナのハの下にバッテン。
母はひらがなのくに向かい合わせのくを書いて棒で仕切り点々。
「父はやさしいのに、なんで母は難しいの?」
「だいいち、あの横棒が突き抜けているのが気に喰わない」
「あの点々がめんどくさいよネ」
「それはね、あの点々はお母さんのおっぱいなのよ」とセンセ。
「いや違う、おっぱいなら横に点々でしょ、センセ?」
しばしガヤガヤ、てんでなことを言い合い
「センセ、わたしは、あの点々は母ちゃんの涙だと思う」とある生徒が言った。
そしたら「そうそう絶対あれはな涙だ」と面々。
貧しい暮らしの中で、自分たちを育ててくれた母への情愛が深く感じられる。
今朝のラジオ深夜便、明日への言葉「松崎運之助氏談」の一コマです。
ある生徒は、故郷の母に手紙を出したくて夜間中学に入ったそうな。
なんとしても、文字の読み書きを学び、故郷の母に
「手紙を書きたい」とひたすら夜間中学で学ぶ生徒の情念が伝わって来るではありませんか。
漢字一つにも人それぞれいろんなドラマがあり、
必死に学ぼうとするならば、見えないものが見えてくる。
学ぶ、という本質がここにあるような気がした。