- この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し
- 土ちかき部屋に移され処刑待つひとときの温きいのち愛しむ
- 七年の毎日歌壇の投稿も最後となりて礼ふかく詠む
これは、島秋人(1934~1967)死刑囚の辞世の句だという。
島秋人は、強盗殺人の罪により死刑判決を受け、7年の収監の後、刑が執行された。
「ねがわくば、精薄や貧しき子らも疎まれず、幼き頃よりこの人々に、正しき導きと神のみ恵みが与えられ、わたくし如き愚かな者の死の後は、死刑が廃されても、犯罪なき世の中が打ち立てられますように、わたくしにもましてつらき立場にある人々の上に恵みあらんことを」島明人の遺言。
人を残忍に殺める闇を抱えた同じ人の中に、このような他を思う祈り心が生まれる。
到底信じる事などできない人間の中に清らかな光が灯る。
”死刑囚というのは、実に従容とした態度で死刑台にあがるものです。
死刑の執行が近づくまでには、みんな反省、悔悟を重ねて、非常に清らかな心境になる。
いわば真人間になる。
こういう人になぜ国が死刑を執行しなければならないのか、
我々は何時も疑問に感じてきた”
長年、死刑囚に関わってきた刑務所長の方のコメントなそうな。
以下は、高橋佳子氏の著書「魂の冒険」の中の「人間に現れる光と闇」の一節です。
氏は云う。
人間はもともと悪人だから罪を犯し、善人だから罪をおかさないというような単純な話ではなく、誰もが、悪縁に触れれば罪を犯さざるを得ない、人間としての深い罪業を抱いているということです。
一方で、良き縁に恵まれるならば、自分のことを脇に置いても、他人のことを助けてさしあげたい、何とかせずにはいられないという心が引き出されるのも、他ならぬ人間であるということでしょう。
もし、島死刑囚があのような厳しい生い立ちを背負わなかったら、その苦しくつらかった想いを本当に受け止めてくれる人と出会えていたなら、まったく異なる人生を歩むことになったに違いありません。
深く考えさせられた。
きのう、裁判員裁判で少年に死刑判決が出た。
裁判員の一人は「一生悩み続ける」とのコメントを残した。
裁判員にこのような裁判を押しつけるのはどうにも無理があるような気がする。
死刑制度云々については、立場立場で様々な意見があり、
非常に難解なのであるが、
島死刑囚の残した「犯罪なき世の中が打ち立てられますように」は、
遙かに遠い世界のような気がする。