ワタシが子どもだった頃、庭先の畑から丘を越えて、ずっと向こうの山の際まで.桑畑が広がっていた。
養蚕をしている家が何軒もあり、そう言う家は「お蚕様」と呼んで尊び、蚕と一緒に暮らした。
桑の木にはどどめがなる。
どどめとは桑のみで、小さなグリーンの実が次第にふくれあがり赤黒っぽくなると喰い頃である。
たぶんどどめ色とは、ここからきているのであろう。
実に「美味い!」と、当時は食い物が少なかったせいか良く食った。
喰い過ぎて鏡を見ると、口の中が人食いのようになっておぞましかった。
動揺「赤とんぼ」では、小カゴに摘んだが、ワタシは育ちが無骨である。
直に胃袋に流し込んだ。
時にはポケットにも入れたりした。
それがつぶれてシャツを汚し「馬鹿たれ!」と母に頭をどづかれた。
同い年の兄がいた。同い年だが双子ではない。
母の連れ子で、一週間早く生まれていためワタシの兄になった。
一週間しか違わないから、兄とは呼べずに「おめぇ」と呼んでいた。
その「おめぇ」と小さい頃は仲良く遊び、一緒に桑畑に入ってどどめを喰った。
ある日、ワタシが丘の桑畑でどどめの鈴なりを見つけた。
遠くにいた兄を呼んだ。
「おめぇ~こぉ~~!」「おめぇ~こぉ~!」
信州生まれである。
お前は「おめぇ」で、来いは「こお」である。
「どどめがじゅくじゅくしてうめぇどぉ~!」
今ではしわがれて沈んだ声だが、当時は天を切り裂くような甲高くも澄んだ良く通る美声である。
辺り一帯に響き渡る。
桑の葉摘みのカゴを背負った近所の娘たちが、
恥ずかしそうに笑いながら頬をそめて畑中の道を通り過ぎた。
その夜、母親のげんこつが降った!目から火が出てコブタンができた。
なんで怒られたか?この辺は、どうぞご自由に想像して下さいまし。
ラジオから流れる動揺「赤とんぼ」を聞きながら、ふとそんな昔を思い出した。
夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か
山の畑の、桑(くわ)の実を
小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか
十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた
夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、竿(さお)の先
過ぎ去った遠い昔はなんか懐かしいようでもありますが、
ちょっぴりうら哀しくもありますねえ。
それにしても15で嫁とは、早熟だったんですかねえ。