上州漢羅窯「下仁田焼き」は荒船山麓、青倉川の上流にあった。
町営バスの終点でどん詰まりである。
ここから先は細い林道が登って延びているだけで、僻地と言って良い。
数件ある集落のやや奥まったところに彼の工房はあり、静けさの中にそっと佇んでいた。
漢羅釜の主はワタシの古い友人で、若い頃絵の勉強で知り合った。
彼は二紀会の会員で結構良い絵を描いたが、焼き物もかじっていて何時しかそれにのめり込んだ。
丹波の窯元で5年を過ごした後、故郷である上州の下仁田の廃校を借り受け、登り窯一つと、ガス釜を一つ設け、すでに30年に近い。
ワタシが筆を折ってからサラリーマンをしていたときに「窯を持った…」と報告に来たとき以来の無沙汰である。
それが、ワタシが信州に帰ったついでに久しぶりに会うことになった。
故郷の佐久からはクルマで1時間半ほどである。
彼の店は下仁田の「道の駅しもにた」にあるが、客は冷やかしばかりだとこぼした。
ああいう物はいくら良い物でも客層がモノを云う。
ちょいとトイレの客ではションベンされるに決まってる。
その焼き物だが素人のワタシにもすばらしく見えたものだから「銀座の一等地へ出せ、このくらい良い物なら興味がある客がいればきっと売れる。高く売れ」とささやいたが、彼は「ふふふ…」と、短く笑ったきりだった。
この焼き物は、群馬県知事賞を取り、地方新聞が取りあげた。
8月の高崎高島屋の陶芸展では彼のこの焼き物だけが売れたという。
この焼き物の秘密は、5年を費やしたという釉薬にある。繭玉から作ったと云った。
群馬は絹の集積地であった名残で、中国に変わった今も、幾らか業者が残っていてくず繭を譲り受けるのだという。
焼き物の輝きは銅のような光沢で中のさなぎ色に似ている。
「信州じゃ、昔はくず繭から真綿を取った後、中のさなぎを炒って食った。そのさなぎ色に似てるなぁ~」ワタシが云うと「…」彼の目が点になった。
「ふふふ…」どうやら彼は、さなぎは喰ったことがないらしい。