夕べF1シンガポールを見ていたら眼が冴えてしまった。
こうなれば深夜TVのはしごしかないではないか。
チャンネルを回していて偶然見つけたNHKの無縁社会という番組を見ていたら益々眼が冴えた。
身元不明の自殺と行き倒れ死の増加と孤独死。
埋葬する人もなく、遺骨を引き取る人もない。
当人よりもむしろ周りの社会からすれば深刻な問題である。
アパート経営している知人が、入居者の孤独死を困った顔で話したのはつい最近である。
「エライ目にあった!」と、困惑顔を思い出した。
気づくのが遅れてその臭いたるや想像を絶するという。
掃除ぐらいでは収まらず、床板まではがしたそうな。
そこに需要と供給が生まれるのは必然である。
死後の身辺整理や埋葬などを請け負う「特殊清掃業」なる新たなる業態が出現した。
あまり増えてほしくない業態であるが、このアパート経営者にとってはたよりになった。
失われた絆。増える独居。
生涯独身の増加は終身雇用制が崩れ、社縁という旧来の生活の基盤であった経済的根幹に基づく人間の関わりが失われたのが起因だというが
ホームレスが増え続けているのもその証左であろう。
そんなニュースにも、いまやそう驚かなくなった。
そのこと自体が人間の心の恐ろしいところである。
企業にとって従業員は利益を生み出すための道具、利益を生まなくなったら捨てるのである。
人間社会を豊かにするそもそもの起業精神は死語となった。
希薄な人と人の絆、無関心が無縁社会に拍車をかける。
もう一つ深刻な問題は結婚しない人々の増加である。
生涯独身者は2030年頃には女4人に一人、男3人に一人に達するとも云われてる。
これなども孤独死が益々増え続ける所以である。
そもそも人間は一人で生まれ一人で死んでゆく存在なのであるが、生きる間は様々な関わりを通じて生きてゆく。
そもそも一人では生きられないのが人間である。
両親という最大の人とひとの縁によって生まれ、
様々な人間との関わりを通して育まれた人間が、
好むと好まざるに関わらず孤独な生活に陥り孤独で死んでしまうのは大いなる皮肉であるが
これが社会のせいならば、こういう社会にしてしまったのも人間である。
この辺りでも近所のつきあいはほとんど無い。回覧板を回すことぐらいである。
ことさらお互いが関わり合わない方が楽でありマナーであると思い込んで、さりげなく生きている。
いまやそういう社会なのである。
昔在所で当たり前であった「お茶でものんで行かない?」
「風呂入りにおいで」なんて裸のつきあいは伝説になった。
全く世知辛い世の中であるが、幸いにしてわたしには家族がある。
わたしは大丈夫!!と、独りごちする。保障などないけどそう独り言ちする。
もしかしたら明日は我が身かも?最近は家族の絆だって希薄じゃ~ないか!
我が家もひょっとして無縁社会が始まってるかもよ?
無縁家族だ。誰もタバコを吸わないし・・・
こんなダジャレに行き着いて仕舞うのは、脳みそがイカレた証拠なのだが
そんなことを考えてると益々眠れなくなって、そしたら次第に外が明るくなった。