運命

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運命とは何だろうか?ベートーベンなどと言わないでくださいね。

と言いながら、わたしも「運命」と聞くと、どうもベートーベンを思い出してしまいます。

ベートーベンの交響曲第5番、ジャジャジャジャーン…誰かがドアを叩く。

ドアを叩いているものは死神か?運命か?

「運命」という言葉は、私たちが人生の不条理や偶然に出会ったとき、それを解釈するために生み出した最大のレトリックだ。

大きく分けると、運命には3つの捉え方がある。

1. 「すでに決まっている」という諦念

もっとも古典的なニュアンスだ。 生まれる国、時代、親、そして死など、自分の意志ではどうにもならない絶対的な力を有する。

現代の物理学や脳科学の一部でも、「因果関係」を突き詰めると、わたしたちの選択すらも過去の因果の連鎖によってあらかじめ決まっているのではないか?、という「決定論」的なアプローチが存在すると言う。

2. 「後から意味づけされる」という物語

実は、これが人間にとってのリアルな「運命」かもしれない。 街角でたまたま出会った人と結婚したとき、あるいは大失敗が巡り巡って大成功につながったとき、わたしたちは「あれは運命だった」と捉える。

つまり、「過去の点と点がつながって線になった瞬間」に、わたしたちが後付けで名付ける奇跡の別名が運命だろう。

最初から決まっていたのではなく、自分がそう信じたいという強力な意味づけをする傾向は実はだれにでもある。

3. 「自ら切り開くもの」という挑戦

哲学者ニーチェは「運命愛(アモール・ファティ)」 という言葉を残した。

たとえ人生が苦しみや不条理(=運命)に満ちていても、それを呪うのではなく、「これこそが自分の人生だ」と丸ごと愛し、引き受けて生きようという姿勢だ。

この視点に立つと、運命とは受動的に待つものではなく、「与えられた配役(配られたカード)を使って、どう最高の芝居を打つか」というプレイヤー側の覚悟になる。

で現在の自分を第三者視点で見ると…

いろいろあら~な。

知り人たちの死と病と、母の死と、兄の病と…そして自分。

もしここで自分が倒れたら…

ふ~~む。それもまた運命だな。

 

今日の一句

運命を引き受くるごと蛙鳴く

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