5月3日は憲法記念日、されど屈辱の日でもある。
なぜならこの憲法は、GHQ によって1946年11月3日に制定され、1947年5月3日に日本の手足を縛るために施行されたGHQの切り札だと思うからだ。
日本はこの日以来アメリカのポチになり下がった。
この憲法が戦後80年以上も経つのに、一行も改正されてないのは、日本人が如何に従順であきらめに縛られた生き物かがわかる。
何時かは真の日本を取り戻す、などという崇高で誇り高き思考力など微塵もない。
金が儲かり平和が保たれれば、少しぐらいアメリカさんに無理難題を押し付けられても良しとしよう。
ポチだろうがタマだろうが、飯が食えればそれでよいと言う訳である。
どんな憲法でも人間が作ったものだ、普遍的なものなどあろうはずはない。時代や社会が変わり世界情勢が変化すれば、いろいろ馴染まない条項が出てくるのは当然である。
そのことは朝鮮戦争勃発により早くも露呈した。
朝鮮戦争は、1950年6月25日未明、北朝鮮軍の「南進」により突如として勃発した。
北朝鮮軍が、朝鮮半島を横切る北緯38度線の境界を戦車をもって越えたのである。
いうまでもなく彼らの後ろには屈強のソ連軍とチャイナ軍がいる。
韓国軍は与太兵であり、日曜日の早朝ということもあり不意を突かれ、わずか3日後、6月28日に首都ソウルが陥落する。
連合国軍最高司令官マッカーサーは慌てた。米国とは完全に相いれない「共産主義」が南下してきたからである。
これを巻き返すには何としても、半島に派兵し戦わねばならない。
普通なら、敗戦国の日本兵を半島の最前線に投入したいところだが、いかんせん自らが制定した日本国憲法が大きく立ちはだかる。
日本は憲法によって軍隊が存在しない。
結果、朝鮮戦争において、アメリカが被った損害は極めて甚大になり、わずか3年という短期間に犠牲者数は後のベトナム10年戦争に匹敵する。
- 死者数、約36,500人 ※戦域外での死亡も含めると約54,000人とされる。
- 負傷者数、約103,000人
- 行方不明・捕虜、約8,000人以上(現在も多くの遺骨が回収されていない)
またアメリカがこの戦争を支えるために使った予算は、当時の金額で約300億ドル〜670億ドル(現在の価値に換算すると数千億ドル規模)に上る。
しかもアメリカの軍事予算は 開戦前は約130億ドルだったが、この戦争中に約500億ドルまで跳ね上がる。
これによりアメリカ経済は「軍事優先」の構造(軍産複合体)へと大きくシフトすることになる。
ここで皮肉なのは、アメリカがこれほどの損害を被った一方で、日本はその背後で多大な恩恵を受けたという点だ。
いわゆる戦争特需というやつである。
アメリカ軍が日本を補給基地としたため、日本に大量の経済効果が生まれた。
これが戦後復興の決定的な呼び水となり、日本は「東洋の奇跡」と呼ばれる経済成長へ踏み出した。
しかも同時に、アメリカにとって日本は「絶対に失えない前線基地」となる。
米ソ分断の最前線である。
そうなれば当然、日本にも軍事力が必要ということになる。警察予備隊の設立である。
しかしわたしが不思議に思うことは、何故この時アメリカは、日本国憲法の第9条を撤廃、あるいは改憲しなかったかだ。
朝鮮戦争で日本にも軍隊が必要なことは十分分かったはずで、しかも自分から押し付けた憲法だから改正など容易だったはずなのにである。
朝鮮戦争をダシにすれば、日本国民だってほぼ100%納得する。
そこにはアメリカ側の「計算」と「誤算」、そして当時の「日本の世論」が絡み合っていたと想像できる。
朝鮮戦争が勃発した1950年、北朝鮮軍は数日でソウルを落とし、南へ猛進した。あっという間にである。
憲法を正式に改正するには、国会での議論や国民投票など、膨大な時間がかかる。戦勝国とはいえ一飛びにそれはできない。
もっともトランプなら、いろいろ御託を並べて強硬突破したであろうが、マッカーサーは純朴故それが出来なかった。
実は、アメリカ側(特にダレス特使)は後に、日本へ再軍備を強く迫ったのだが、当時の古だぬき吉田茂首相がそれを頑なに拒んだ。
強引に日本を丸裸にし、最極貧国に貶める憲法を押し付けたアメリカへの意趣返しであったかもわからない。
それ以来日本は、憲法9条を逆手にとって、紛争や戦争への参加を拒んでいるのは周知の事実である。
敗戦国が美味しい処だけ持っていくのはアメリカにとって相当忌々しいが、当のアメリカが押し付けた憲法だけに地団太を踏むばかりだ。
しかしそうは言っても日本も、丸腰ではさすがに肝が冷えたのであろう。
警察予備隊を産んだ。それが逞しく成長して自衛隊となって、現在では世界第4位~7位に相当する戦力を有している。
憲法9条で「戦力の不保持」をうたいながら、世界トップクラスの「自衛隊」が存在している。
この巨大な矛盾はなぜ今日まで成立しているのか?
一言で言えば、歴代政府が「言葉の定義を極限までこねくり回してきた、憲法解釈」があるからだ。
そこには、「理想」と「現実」を無理やりつなぎ合わせるための、涙ぐましい詭弁と論理の積み重ねがある。
その詭弁の第一位は、自衛隊は戦力ではない、あくまで「力」である。というところかも知れない。
政府は、憲法9条2項で禁じられている「戦力」と、自衛隊が持つパワーを明確に区別している。
憲法が禁じる「戦力」は 他国を侵略したり、大規模な破壊を行ったりするための能力を言う。
しかるに、自衛隊の「自衛力」は 自国を守るために必要最小限度の力であり、これは「戦力」には相当しない。
随分自分勝手な解釈ですね。もう何が何だかわかりません。
自衛隊が必要ならそんな御託を並べていないで、憲法から9条を取っ払い、普通の国になれば良いだけの話なのにである。
5月3日は憲法記念日である。それはアメリカのポチになった屈辱の日でもある。
わたしはこの憲法を日本人の手によって造り替えて貰いたいと思っている。
それはたとえ今の憲法と著しく似ていても、わたしは文句は言わないつもりだ。納得して受け入れる。
自国の憲法は自国民によって作られるものだ。これが当たり前だからだ。
憲法改正は戦争への道、などというとぼけた左巻きが多いが、誰が戦争をするために憲法を改正するものか!
憲法改正は、先ず第一に、日本人としての誇りを取り戻すための第一歩なのである。
そして世界の平和に貢献し、日本人が世界に胸を張って生きられる真に豊かな国になるために行うのだ。
今日の一句

くびき脱ぎ真(まこと)の空へ鯉昇る