先月末亡くなった母さんに言いたかったこと

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先月29日の夜、母の訃報を聞いた。
何時までも生きていてほしかったが、それはかなわない夢だった。

人はこの世に生まれたなら、誰も、絶対という不確定な時間を経て必ず死ななければならない。
これは神が、すべての命ある者に与えた宿命であり恩寵です。
死はあの世へ生まれ変わるための進化ですから。

人は後悔と使命をもって生まれてくると言う。

だから人はどう生きるのか?が最大のテーマじゃないでしょうか?
そしてあの世に帰れば「あなたはどう生きたのですか?」と多分聞かれるに違いありません。

母は齢96歳でしたから、世間並みに言えば大往生だった、と私は思っています。

わたしが母と一つ屋根に暮らしたのは、わずか15年間でしたが、事あるごとに母の愛を感じていました。改めて母に「育ててくれて、見守っていてくれてありがとう」と言います。あっ、因みに母は継母です。
それに対してわたしは、どれだけ恩に報いることができただろうか?

今更ながら、何もしてこなかったことに気付き慙愧の思いでいます。

そんな至らないわたしだが、母には何としても聞き届けてもらいたかったことが一つある。

それは母の信仰である。

母は熱心な霊〇会の信者で、悪く言えば狂信者だった。
無くなる二日前まで仏壇(霊友会では御宝前とかいうらしい)の前で祈っていたと兄が言っていた。

しかしこの宗教についてはわたしは、小さい頃から疑問を持っていて
何時だったか、このことで言い合いになったことがある。

わたしはこの宗教があまりにも理不尽だ、と幼いころから思っていたものだから
あらゆる不満が後から後からついて出てしまった。

「母さんはわたし達が幼いころから、お導きと称して夜遅くまで家を空けていたよね。
だから兄さんと二人だけで、小学校2年ごろからご飯を炊くのを覚えた」となじった。

それに対して母は、ため息をついて言ったものです。

「○○それはねえ。子に尽くすは小乗、多くの人に尽くすのが大乗なんだよ」

わたしは長じてからもこの大乗に引っ掛かっていて、ふと思ったことがある。

小乗とは個人の救済、大乗は多くの民衆を救うことだと理解しているが、自分の子供に尽くせないで何が大乗かと言いたい。

「ということは母さんは、死んだらやっぱり第一に母さんを拝めって言うんだろな?」

しかしちょっと違うんじゃね?わたしは今になってもこの意見を変えるつもりはない。

わたしがもし死んであの世に行って、わたしの息子夫婦が幼い子がいるにも関わらず、朝から晩まで拝んでいたら「おいおいお前たち、わたしのことは良いから、早く子供たちに美味しいご飯を食べさせなさい」と諭しますよ。

なにが子に尽くすが小乗ですか!なにが大衆に尽くすが大乗ですか!

わたしに言わせれば、幼い我が子に寂しい思いをさせないで無事に育てる事こそが
大乗に続く道でしょうが!こんなこと小学生でもわかりますよ。

小学生でも分かることが分からなくなる事こそ、宗教はアヘンより恐ろしいと言われる所以です。
アヘンは身体を壊すが、宗教は心までも狂わす、と言うことです。

お導きすることこそが最大の功徳とはうまいことをいったものです。
多分これこそが霊〇会の奥義ではないでしょうか?
そりゃそうだ、会員が増えれば増えるほど会勢が増し当然お金も集まるもの。

これを世間では洗脳と言います。
もちろん会員たちは誰一人洗脳されているとは思っていません。
最近も統一教会で話題になりましたね。母さんも同じです。

わたしにはそんなものが先祖供養だとは到底思えません。

真の先祖供養とは、今あるわたしたちが、健康で豊かで、いつも笑い声が絶えない円満な明るい家庭を築くことでしょう。
その姿をあの世でご覧になった先祖たちが「あぁ、この子たちはよくやっているなあ」と安心し、自らを省りみて反省し成仏することだと思う。

霊〇会の最も危険なことは、先祖供養と称し、浮かばれない霊たちを集めてあがめることです。
母さんは仏さまとあがめていましたが、何が仏さまですか!

仏壇(霊〇会では御宝前と言うらしい)の中は救われない地獄霊がうようよです。
そりゃそうだ、供養してくれると言ってるわけですから。
もし霊視出来たらきっとおぞましい風景が展開されていることでしょう。

そんなものが家の中にうようよいたら良くないことがいっぱい起こります。
兄さんの事、そして母さんあなたの事、思い当たることはないですか?

そんな地獄霊たちにお経なんかいくら上げたところで彼らは成仏できません!

彼らがお経の意味をよく理解し、生まれてから死ぬまでの思念と行為の一つ一つを
神の法に照らし、間違っていたことを心から反省し神に詫びてこそ天国への道が開かれるのです。

さらに言えば、御宝前とかいう奥の壁につるされた
曼荼羅と弥勒菩薩像を印刷した安直な掛け軸に神仏なんか存在していません。

仏陀や弥勒菩薩様が天上界から笑っていますよ、きっと。「いやに薄っぺらい仏ですなあ」と。
神はこの三次元宇宙の創造主なんですよ。仏は神から使わされた尊いお方です。

神は、わたしたちが生きるためのすべてのものをすでに与えています。

いわば、この地球こそが大神殿なんですよ。

それを御宝前などというちっぽけなまやかしをこさえて拝ませる霊〇会って、一体何なんでしょうか?

前述したことは、霊〇会の狂信者になった母を半面教師として得た、GLAの始祖高橋信次師から得た教訓です。

そういう意味では母の狂信も、わたしが神理に触れるきっかけになったともいえるので
そのことについては大いに母に感謝したい。

ということで、わたしは、御宝前にまします掛け軸は、霊〇会へ返却したいと思います。

ところで母さん、今どこに居ますか?明るい場所ですか?暗いところですか?…

 

今日の一句

母に捧ぐ日々の思ひや菫草

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